1 2021/11/26(金) 11:26:40.29 ID:CAP_USER9 オリコンニュース 11/26(金) 8:40  ベースを弾きながら歌う芸風で注目を浴び、『エンタの神様』(日本テレビ系)などで活躍していたはなわ。当時、「子どもたちは歩きなのにヘルメット」「バス停の名前が“山下さん家前”」といった誇張した自虐的な歌詞に、佐賀県民から少なからず批判の声もあった。実ははなわの出生地は埼玉県で、当時は佐賀への地元愛はあまりなく、批判も全く気にしていなかったが、年々感謝と懺悔の気持ちが生まれているという。2011年に佐賀県にUターン、今夏コロナの影響で再び関東に移住した彼に、現在の佐賀県への思いを聞いた。 ■ストレスで円形脱毛症に… 必死で生み出した“田舎キャラ”を拾ってくれたのは福山雅治  小学生の頃から佐賀県で育ったはなわは、幼い頃から人と違うことをするのが好きだった。特にお笑いにこだわりがあったわけではないが、テレビに出たい、有名人になりたい、との思いで芸人を目指し、高校卒業とともに上京した。 「お笑いの世界は想像以上に厳しいところでしたが、根拠のない自信だけは不思議とあって。例えば左利きであることや、はなわという珍しい名前とか、とにかく自分は特別な人間だと本気で思っていたんですよね。当時は佐賀で芸人を目指す人なんていなかったですし、東京なんて佐賀県人からしたらニューヨークに行くぐらいの感覚ですよ(笑)。そういう、人がやらないことをしているからこそ、“自分には何かあるはず”と思えていたんでしょうね」  根拠のない自信だけを頼りに、独自の表現スタイルを貫きながらショーパブなどでネタを披露しつつ、細々芸人生活を送っていた。そんな状況の中、結婚して子どもを授かったはなわは、父親としての責任感から、初めて“芸人を辞めたほうがいいのかもしれない”との考えがよぎった。 「家族を養わなければいけないので、このままじゃいけない、なんとかしなきゃみたいな焦りを感じていましたね。どうやったら売れるんだろうと日々模索していましたし、円形脱毛症にもなったりして(笑)。まだその頃はお笑い氷河期で、お笑いライブで1位をとっても、ネタを披露できるような番組がなかったんです。あの頃は本当にキツかったですよ」  お笑い芸人は「背が小さい」「太っている」などコンプレックスが武器となり、キャラを印象づける役割を果たすことも多い。そういった外見の個性がないことに悩んでいた彼は、出身地である佐賀について周りからいじられたことをきっかけに、“田舎キャラ”“田舎ネタ”を思いつく。 「先輩とかから『佐賀ってどんなところ?』とか『佐賀ってコンビニあるの?』なんて聞かれて、“もしかしたらこれが俺の個性になるんじゃないかな”と思い始めたんです。最初は佐賀弁でコントをやったりしたんですけど、とあることがきっかけで事務所の社長がベース買ってくれて。“これは使えるな”と思いましたね(笑)。それでベースを弾きながら“佐賀あるある”のネタをやり始めたら、どんどんウケちゃって。  ちょうどその頃から放送開始したNHKの『爆笑オンエアバトル』という番組に出たことがきっかけで話題になって、『エンタの神様』に出るようにもなって、あれよあれよと忙しくなっていったんです。さらに福山雅治さんがラジオで「佐賀県」を推してくれるなんていう強力なバックアップもあって、本当に運に恵まれていましたね」 ■「批判があった方が尖ってて良いと思っていた」その裏で、両親が佐賀県知事に土下座していた  突如、借金生活から人生が一変し、歌いすぎて出なくなった声を治すために首に注射を打ったこともあった。「過酷なスケジュールすぎて人気者になったことを喜ぶ暇もなかった」と当時を振り返りながら、真っすぐな瞳で話を続けた。 「急に売れてどんどん消費されて一発屋になってしまう人もいますが、僕はそこは特に意識してなかったですね。むしろ売れるなら、一発屋でもなんでもいいんじゃないかとも思っていました。だって一発屋でも十分すごいし、なかなかなれるものではないですよね」  ネタ番組ブームのみならず、「佐賀県」(2003)のCDデビューで大ブレイクを果たしたが、一方で、自虐的な歌詞に対して、地元民から批判の声が寄せられたこともあった。 ※続きはリンク先で https://news.yahoo.co.jp/articles/b50d829fb9530d7cd39473e60c593acb0890cd61 2003年「佐賀県」がヒットし、紅白出場も果たしたはなわ (C)oricon ME inc. 続きを読む 1 2021/11/26(金) 11:26:40.29 ID:CAP_USER9 オリコンニュース 11/26(金) 8:40  ベースを弾きながら歌う芸風で注目を浴び、『エンタの神様』(日本テレビ系)などで活躍していたはなわ。当時、「子どもたちは歩きなのにヘルメット」「バス停の名前が“山下さん家前”...https://livedoor.blogimg.jp/exawarosu_net/imgs/1/7/17674968.png