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1: 雨宮◆3.yw7TdDMs 2015/11/29(日)19:47:24 ID:WpW

 憲法解釈の変更で揺らいだ「9条の理念」を守るためには、いっそのこと憲法改正で自衛隊を認めた方がいいのでは――。
長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制の成立を受けて、
護憲的な立場から浮上した「新9条論」を切り口として、憲法と民主主義の関わりを考えます。

  杉田 戦後の平和主義的な価値を大事に考える人々の一部には、現行憲法の文言が抽象的だからこそ、今回、
集団的自衛権が行使可能にされてしまったという忸怩たる思いがあるようです。
そこで、平和主義の理念を守るために憲法9条を改正すべきだという「新9条論」も出ている。
個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は認められないなどと明示し、解釈の余地をなくすべきだと。

長谷部 そのような改正が仮に実現したとしても、それがさらなる解釈の対象にならないという保証は全くありません。
条文の文言は思っているほど頼りになりません。一番頼りになるのは安定性と継続性。
集団的自衛権は行使できないという憲法解釈は長い年月をかけて営々と紡ぎ出され、積み重ねられてきた。
すでに確立した解釈であるから、簡単に変えられないし、変えてはならないはずだと。

杉田 しかし、その安定性と継続性が安保法制の成立によって断たれ、9条は空文化し、死んでしまった。
だから、新条項として蘇生させなくてはいけないと、「新9条論」者たちは主張しています。

長谷部 死んでいるのならなぜ、安倍さんたちは明文改憲を目指しているのでしょう。死んでませんよ。
集団的自衛権の行使は認められないという「法律家共同体」のコンセンサスは死んでいませんから。元の政府解釈に戻せばいい。

杉田 その法律家共同体の営みが、密室での合議で不透明だという不信感が、改憲論の背景にはある。「新9条論」にもそれがあるようです。

長谷部 法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。
素っ気ない言い方になりますが、国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。

同意が基礎だと言い始めたら、10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけなくなります。
しかも、同意は法律や憲法の正当性を基礎づけることにはならない。みんなで議論し、最終的に多数決で決めれば、正解にたどり着く蓋然(がいぜん)性はある。
でも、みんなで決めたことだから正しいという主張に根拠はない。多数決で間違った決定をすることも珍しくはありません。

  杉田 たしかに、みんなで決めたことでもだめなものはだめ。これが立憲主義でしたね。
民主主義と立憲主義の間の緊張関係を常に意識しておかないと、「新9条論」を主張する人たちの純粋で真摯な思いが、
民主主義の名の下に、改憲そのものを自己目的化する現政権の動きを、裏側から支えてしまう可能性がありそうです。

長谷部 そもそもなぜ、憲法を書き換えるという形で自らの社会構想を表現するのでしょうか。憲法改正には衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成による発議という、
非常に高いハードルが課されています。政治や社会の基本原則を軽はずみな思いつきで変えてはならないからです。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12092186.html

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