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1: ◆qQDmM1OH5Q46 2017/03/11(土)10:25:11 ID:???

「教育勅語礼賛」の気持ち悪さ
古谷経衡 | 文筆家/著述家
3/10(金) 17:39

(略)

この保守・右派界隈に頻出する「教育勅語礼賛」へ、私が感ずる強烈な気持ち悪さというか、違和感とは、次の二点である。

1)教育勅語が存在した時代には、現代社会よりも高い道徳観が存在していたという思い込み

=つまり前述稲田大臣の発言部分の「そこ(道徳観)は取り戻す」という言葉に象徴されるように、教育勅語が存在した時代には高い道徳観が存在したが、
現在は失われてしまっており、よって教育勅語を筆頭とした道徳観は「取り戻すべき存在」として認識されているということである。

2)教育勅語を礼賛したり、復活したりすることを勧奨し、高い道徳観を至高のものと説く人物に限って、道徳的に退廃した私生活を送っているということ

=教育勅語が示す精神、例えば父母への孝行、兄弟は仲良くし、夫婦は互いに調和しあい協力し合って、慎みの精神を持ち、尊法精神の涵養すべしなど
(これ自体は至極真っ当な道徳観だ)を至高のものであり、現代はそれが失われていると嘆き、よって教育勅語の復活が重要だと説く人間ほど、
夫婦愛も尊法精神もない、ということである。

・現代日本は道徳的に退廃している、という妄想

まず、1)の観点から見ていきたい。果たして教育勅語の存在した時代は、教育勅語の内容が示す通り、道徳的に高い時代だったのだろうか?

この国の保守・右派界隈は、教育勅語が存在した戦前日本を、教育勅語の内容が示すままに、なにか高い道徳的価値観を保った美的な社会である
と思い込んでいる節がある。それは現在、保守派・右派とされる文化人らの著作を少し紐解くだけで明瞭としてくる。

続き Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20170310-00068568/

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