沖縄タイムス阿部岳記者「私は望月衣塑子である。市民の1人ひとりが望月衣塑子だ」
スレッドURL: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1581748077/
直径約2・4ミリの鉛の粒が、『朝日新聞』阪神支局(兵庫県西宮市)に展示されている。
1987年の襲撃事件で、散弾銃から発射された。一つひとつは小さなその粒が記者1人を殺害し、言論を永久に封じた。
今、首相官邸が発する言葉の一つひとつがジャーナリズムを撃ち、衰弱させている。
2015年、フランスの風刺週刊紙『シャルリエブド』が武装テロリストに襲撃され、編集長ら12人が犠牲になった。世界中のジャーナリストと市民が「私はシャルリ」と連帯の言葉を語った。
そして今。私は望月衣塑子である。ジャーナリスト、市民の一人ひとりが望月衣塑子ではないか。
菅義偉官房長官は、記者会見で質問する『東京新聞』の望月衣塑子記者に対し、「あなたに答える必要はありません」と言った。国会では「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言った。誰になら答えるのか、どれを取材と認めるのか、権力が一方的に選別するという宣言である。
他方、首相官邸から内閣記者会への要請文は「問題意識の共有」を求めた。「メディア、政府の双方にとって有意義な形での」会見と続く文脈にも、「あなたがたも望月記者には手を焼いているでしょう」と、記者クラブを抱き込む意図がのぞく。
権力による同業者の排除を黙認し、自らは排除されないようにおもねるとしたら、権力を監視するジャーナリズムは死ぬ。職業人、プロフェッショナルならば闘う以外の選択肢はない。仕事の流儀、価値観の違いがあったとしても二の次である。存在意義と存立基盤そのものが揺さぶられている。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/05/05/seiji-72/
続きます
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1: ◆mZB81pkM/el0 (東京都) [ニダ] 2020/02/15(土) 15:27:57.63 ID:s7ZuGrCC0● BE:844481327-PLT(13345)
直径約2・4ミリの鉛の粒が、『朝日新聞』阪神支局(兵庫県西宮市)に展示されている。
1987年の襲撃事件で、散弾銃から発射された。一つひとつは小さなその粒が記者1人を殺害し、言論を永久に封じた。
今、首相官邸が発する言葉の一つひとつがジャーナリズムを撃ち、衰弱させている。
2015年、フランスの風刺週刊紙『シャルリエブド』が武装テロリストに襲撃され、編集長ら12人が犠牲になった。世界中のジャーナリストと市民が「私はシャルリ」と連帯の言葉を語った。
そして今。私は望月衣塑子である。ジャーナリスト、市民の一人ひとりが望月衣塑子ではないか。
菅義偉官房長官は、記者会見で質問する『東京新聞』の望月衣塑子記者に対し、「あなたに答える必要はありません」と言った。国会では「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言った。誰になら答えるのか、どれを取材と認めるのか、権力が一方的に選別するという宣言である。
他方、首相官邸から内閣記者会への要請文は「問題意識の共有」を求めた。「メディア、政府の双方にとって有意義な形での」会見と続く文脈にも、「あなたがたも望月記者には手を焼いているでしょう」と、記者クラブを抱き込む意図がのぞく。
権力による同業者の排除を黙認し、自らは排除されないようにおもねるとしたら、権力を監視するジャーナリズムは死ぬ。職業人、プロフェッショナルならば闘う以外の選択肢はない。仕事の流儀、価値観の違いがあったとしても二の次である。存在意義と存立基盤そのものが揺さぶられている。
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